2008年8月30日 (土)

出会い-カスピ海

カスピ海ロシア語: Каспийское море英語:Caspian Sea)は中央アジアにある陸地に囲まれた塩湖である。かつては裏海(りかい)とも呼ばれ、中国語では現在もそう呼ばれる。

この湖に接している国は、ロシア連邦ダゲスタン共和国カルムィク共和国チェチェン共和国アストラハン州 )、アゼルバイジャン共和国イランマーザンダラーン州など)、トルクメニスタンカザフスタン共和国である。湖の北から東にかけて中央アジアの大草原が広がる。ヴォルガ川ウラル川クラ川テレク川などが流れ込んでいる。流れ出す川は存在しない。アゾフ海マヌィチ運河によってつながっている。

古代には「ハザール海」と言われていた。

面積は374,000 km²ある。海と湖の両方の特徴をあわせ持っているため、海とするならば世界で最も小さな海になり、湖とするならば世界で最も大きな湖となる。なお日本の面積は377,835km²なのでほぼ同じ面積に値する。

多くのチョウザメが生息し、その卵はキャビアとして加工されている。乱獲によりその個体数は減っており、専門家は数が回復するまで捕獲を完全に禁止することを提唱している。

カスピ海の水質や周辺諸国の境界線をどのように引くかということが問題になっている。国際法上、この水域をとするかとするかで、沿岸各国の利益が変わる。

カスピ海で最も早く油田生産が始まったアゼルバイジャンがバクーを中心として一大石油生産地となっており、ロシア、カザフスタン、トルクメニスタン、イランでも探鉱が進められている。カザフスタンで開発中のカシャガン油田には日本含め大手石油企業が参加している。西欧へ輸出するために、地中海までBTC(バクー・トビリシ・ジェイハン)パイプラインが2006年に建設された。カスピ海は黒海や地中海と同様にテーチス海の名残である。大陸移動により550万年前に陸地に閉じ込められた。海水の塩分濃度が世界の海の3分の1なのは一度干上がり、塩分が岩塩として沈殿したためと考えられる。北部ではヴォルガ川などの流入で塩分が薄く、南部ではイランからの流入河川が少ないため塩分が濃いとされる。

カスピ海の水位は何世紀にも亘り上下の変動を繰り返してきた。ロシアの歴史家たちは中世における水位の上昇がハザール王国のカスピ海沿岸の町に洪水を引き起こしたと述べている。

カスピ海の海面は、19世紀にはおおむね海抜 -25~-26mで上下していたが、20世紀に入ると低下しはじめ1930年代には約2m弱と急激に低下した。その後、1977年まで海面の低下が続き、その後は上昇している。なお、この間、1980年にはカスピ海の海面低下を防ぐためカラポガスゴル湾を結ぶ海峡が堰き止められ、塩害など別の災害を引き起こした。

過去2000年の間でも、海抜-22mから-34mの間で大きく変動したと考えられている。カスピ海周辺国家間で10年に及ぶ領海確定協議が続いている。カスピ海を海ととらえるか湖ととらえるかで、主に3点が問題となる。つまり鉱物資源(石油・ 天然ガス)、漁業そして国際水域としてのアクセス。とくに黒海やバルト海へ抜けるヴォルガ川とのリンクは内陸国であるアゼルバイジャン、トルクメニスタ ン、カザフスタンにとって重要である。カスピ海が海であれば外国船の通過を許す国際条約が有効となり、湖であればその義務がなくなる。これには環境問題も 関係する。なお、カスピ海では旧ソ連時代の艦艇を引き継いだロシアの軍事プレゼンスが最も高い。

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

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2008年7月 9日 (水)

出会い-ワンダーフォーゲル

ワンダーフォーゲル(独:Wandervogel)は、戦前期ドイツにおいてカール・フィッシャーらがはじめた青少年による野外活動である。またそれを元にする野外活動を率先して行おうとする運動1896年ベルリン校外のスティーグリッツのギムナジウムの学生だったカール・フィッシャーがはじめた。

その思想の一部を受け、日本でも(主に)大学クラブ・サークル活動の一環として野外活動を主とする部が発展した。これらの活動もワンダーフォーゲルと呼び、ワンゲルと略したりする。ただし、日本のワンダーフォーゲル部にある、山岳部の亜流(第2山岳部)もしくはかなりのハードなトレーニングをする山岳部という意味は、ドイツのワンダーフォーゲル運動にはなかった。

19世紀後半のドイツにおいての急激な近代化に対する広い意味での自然主義の高揚を背景としている。

はじめ、フィッシャーらは男の子ばかり郊外の野原にでかけてギターを弾き、歌を歌った。そのうち、グループの緑の旗が出来たり、男の子は半ズボンに、ニッカーボッカーのようなスタイルになり、女の子も参加するようになる。

Wandervogelは直訳すれば「渡り鳥」の意味である。1901年運動のメンバーの一人、ヴォルフ・マイネンが、運動の中心がを歌うことだったので、ワンダーフォーゲルと名づけた。鳥、つまりさえずるという意であると同時に、社会の固定された規範から自由でありたいという願いが込められている。1910年代にはドイツ全土に広がるが、時は第一次世界大戦に入り、ワンダーフォーゲルは、戦争忌避的な個人主義、個人の享楽主義のようにとられ、好ましくないとの批判が出てくるようになり、関連の団体、グループ13団体が、ホーエン・マイスナーに集合し、「自由ドイツ青年」という団体を結成する。戦争の進展と共に運動の一部はナチ化し、のちヒトラーユーゲントに吸収されて、その姿を消す。日本には第二次世界大戦前のドイツとの国家的友好関係とその影響の元に、1933年(昭和8年)文部省内に「奨健会ワンダーフォーゲル部」が設けられ、国による健全な青少年運動として宣伝と普及が開始された。それらに触発され1935年(昭和10年)に立教大学ワンダーフォーゲル部発足されたのが日本での最初の学生団体である。その後、戦争をまたいで高度経済成長と登山大衆化を背景として各地の大学に広く設立されるに至る。

日本の大学のワンダーフォーゲル部の活動は、若者が集団で徒歩を基本に野外活動を行うことを除き戦前のドイツの活動との共通性は高いとはいえない。

一般にテント調理道具を持参し山小屋での宿泊を避け、出来得る限り自立的なパーティ(多くは十人以内、男女混成もしくはその別は場合による)を組み、縦走登山形式の合宿を主要な活動に据える場合が多い。またはそういった活動形態を伝統的に一つのあるべき姿とする傾向があるが、その活動実態・活動フィールドは各大学各団体ごとにまちまちである。

あくまで一例として、比較的近場の山岳地での春~初夏にかけての繰り返して行われる新人練成合宿(1~3泊程度)といったものから始まり、夏休みの時期の夏山縦走、つまり日本アルプス北海道の山などの国内では比較的大規模な山岳地・山脈でのだいたい1~2週間に及ぶテント連泊形式の縦走登山を行う夏合宿(冬山合宿が無ければ1年で最も主要な活動)を経て、秋の中規模(2~5泊前後)な合宿(次代のリーダーを養成を兼ねている場合が多い)へと至り、冬の降雪期はスキーなどを行い、春休みには無(もしくは少)雪地での中規模な合宿を行う。また、各合宿時以外は合宿に向けてのトレーニングや準備・企画といった活動が精力的に行われる。以上のような活動が典型的である。

しかし、伝統的に冬山登山や、里山ワンダーフォゲル(里ワン)・島ワンダーフォゲル(島ワン)と称される活動も行う団体もある。さらに近年の野外活動やスポーツレクリエーションの多様化にともないそれらの活動実体は非常に多岐にわたる。それはいわゆる体育会に所属してる部であるか否かやサークルかといった大学内での存立形態の多様さおいても如実に現れている。

活動内容において、山岳部との差異は一般的にはない。差異はむしろ歴史的・思想的背景にある。活動の類似性において山岳部(時に探検部その他のアウトドア系団体)と混同されることを避ける為、あえてその活動内容から背景思想において違いを求めると次の様に解されなくもない。ただし、以下の傾向は、全てのワンダーフォーゲル(部)に当てはまる一般的なものではない。

山岳部がザイルワーク(ロープワーク)といった登攀技術を要し、より困難なルート開拓といった課題のある先鋭的な登山に意義求める傾向が強いのに対し、ワンダーフォーゲルはもし目的地が決まっているならば登攀などは行わないで済むより安全なコース(自ずと既存のコースとなる)を利用し、より安全な登山の完遂に意義を求めようとする傾向が強い。その際、リーダーらは計画段階から多くの議論を重ねて最善のコースを間違いなく導こうと注力する。

つまり、山岳部は自ら選ぶ行為から困難を引き出し、ある部分でリスクを冒してもその目的を達せようとする。いわばスリルのともなった冒険的行為を楽しもうとする。これに対して、ワンダーフォーゲルは登山(野外活動)を行う上で生じる避けられない困難を確実にクリアしていくことを楽しもうとする。この考え方は、登山であるために生じる日常生活とは別種のリスクを最小限にコントロールしうる利点がある反面、その活動が硬直化・形骸化しやすいデメリットもある。

しかし、先に述べた通りクライミング沢登りトレッキングといった各種の登山様式の多様化にともない、その活動実態は一様ではなく、一概にワンダーフォーゲル部と称するだけで山岳部や各種のアウトドアサークルとの差異を求められない場合も多い。極端な場合には、同一学内で山岳部が並存するにも関わらず、山岳部をはるか凌ぐより先鋭的な登山(海外での活動を含む)を行うワンダーフォゲル部も見受けられる。

また、登山合宿にともなう野営を単なるキャンプと称するに抵抗感を持つ向きも多い。これはテントなどによる野営は、時に手段としてビバークも辞さないとするなど、あくまで登山行為遂行の為の手段であって、それ以上の目的は少ないと考えられ、その点においてキャンプとは大きく趣を殊にすると考えられるからである。このようなストイックさ、また一部においては体育会所属であることを誇りとする傾向、などにおいて多くの山岳部などと共通する点も多い。ただし、単に野外・自然の中での活動を謳歌しようとするワンダーフォーゲル運動の原点から素直に導かれる思想と体育会的気質(思想)はある部分では相容れない。そのため一定のルールのもと他者と競う一般的なスポーツ競技とは異なる点を重視してとらえ、逆に体育会系であることをよしとしない考え方も一方には存在する。各地方に学生ワンダーフォーゲル連盟といった組織が存在するものの、その組織率は低く一部にとどまっているほか全国組織は現在存在しない。しかし、連盟組織によらない各大学各団体間の交流は単なる合同飲み会レベルからインカレ(インターカレッジ)と称されたりする合同キャンプ合宿に至るまで様々に行われている。高校高専の部活動の一つとしてのワンダーフォーゲル部も存在し、インターハイなどではいわゆる“競技ワンゲル”と呼ばれる縦走登山の様々な技術を競う独特なスポーツ競技もある。このような競技は大学レベルには存在しない。

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2008年6月18日 (水)

出会い-パラフィン

パラフィン (paraffin) とは、炭化水素化合物(有機化合物)の一種。炭素原子の数が20以上のアルカン(一般式がCnH2n+2の鎖式飽和炭化水素)の総称である。パラフィンが指し示す範囲は広いので一般に使用される場合、ある特定の範囲を指していることが多い。もっとも一般的な用いられ方としては、パラフィン類を原料として製造されるパラフィン紙などがある(詳しくは用途を参照)。日本では用いられないが、英国南アフリカでは、灯油を指す言葉として一般に用いられている。非揮発性の精製した飽和炭化水素の混合物の総称。有機化合物の分類のひとつ(*1)。 有機化学での分類としては、炭化水素化合物でアルカン (alkane)(アルカン族)と呼ばれる(化学式ではCnH2n+2(アルカンの一般式)とあらわされる)物質の中で、n、つまり炭素原子の数が20以上のものを指す総称(物質をグループ分けするための名称)。または「パラフィン系」「パラフィン類」という分類はこの意味に基づく。アルカンとは、C−H、C−C 単結合(飽和結合)からなる鎖式(鎖状)構造を持つ「鎖式飽和炭化水素化合物」のこと。石油を精製してできる石油精製品メタンエタンプロパンなどの仲間である。

パラフィンは直鎖型の分子構造をもつノルマルアルカン(ノルマルパラフィン)、分岐(枝分かれ)をもつイソアルカン(イソパラフィン)、環状のシクロアルカン(シクロパラフィン)の3種類に分類される。

通常パラフィンという場合はノルマルアルカンを指す。通常パラフィンは均一の物質ではなく「構成する炭素鎖」がさまざまなものが混ざっている。パラフィンのなかで炭素鎖が長いものを多く含むものは固体状で、「石油ワックス」と呼ばれる。 一方、炭素鎖に短いものが多く含まれるものは常温常圧で液状であり、「流動パラフィン」(liquid paraffin) と呼ばれる。

揮発性が非常に低く化学的な安定性が高い。熱を伝えにくい。常温で液体または固体。精製度の高いパラフィンは無色。

良質のパラフィンは電気的に非常によい絶縁体で、電気抵抗はおよそ1017 Ω。テフロンとして知られる素材以外にはこれ以上の絶縁体はない。

無味無臭。ろう状の固体。融点は約47~65 ℃。には不溶であるが、エーテルベンゼンエステル類に溶解する。パラフィンはほとんどの化合物に対して反応性が低いが、着火すると速やかに燃焼する。

石油ワックスは、(ろう:ワックス)と役割が似ているが、化合物として分類した場合に蝋は高級アルコール類となる。

常温では無色の液体で非揮発性。わずかに臭う。水には不溶。第3種有機溶剤で引火性があり危険物である。化学的に安定な物質で、通常の条件では酸化を受けない。乳化しやすくのびや浸透性に優れる。純度は紫外光の吸光度により計測される。

流動パラフィンには多くの呼び方がある。ヌジョール (nujol)、ミネラルスピリット、ミネラルターペン、ホワイトスピリット、ホワイト油、白色鉱油、石油スピリット、ミネラルシンナー、ペトロリウムスピリット、水パラフィン、ミネラルオイル、ミネラルオイルホワイト、医療用パラフィン (medicinal paraffin)、パラフィンファックス、saxol、USP mineral oil、adepsine oil、Albolene、glymolなど。

工業用ガソリンの一種、塗料の材料として用いられる。油性の汚れを落とす効果にすぐれるため化粧品にも利用される。医薬品添加物および食品添加物に使用されるのも流動パラフィンである。食品衛生法上では、「パンのデバイダー油(離型剤)」としてのみ使用が許可されている。下剤にも使用される。

パラフィンは、石油に含まれ、分留によって取り出される。重油、アスファルトも炭化水素を含み、広義でのパラフィン類に含まれるが、これらは精製度合いが低くカーボンやその他の挟雑物を含有してため黒褐色を有する。また、蒸留精製する温度の違いで灯油などの燃料、流動パラフィンと石油ワックスは作り分けられる。

食品衛生試験に合格したものは固形食品を直(じか)に包む事が許可される。

日本では、食品衛生法上、石油系ワックスに関する品質規制はない。(『流動パラフィンは化学的合成品ではないので、食品衛生法第六条に基づく指定の必要がない』とされている)。食品包装全般に使用されるワックスの品質をワックス業界が自ら管理することを目的に日本ワックス工業会が基準を制定している。

食品工場で使用される機械(たとえば製パン機では生地を分割する分割機)の潤滑油として従来、流動パラフィン(鉱物性オイル)が使用されていた。しかし、流動パラフィンの発がん性が議論されるようになり、現在では植物性オイルの使用が推奨されている。1970年からパンの製造過程におけるパン生地の自動分割機による分割の際、および焙焼(ばいしょう)する際の離型の目的に限ってのみ使用が許されており、パンへの残存量が0.10%未満だができるだけ少なくすることが望ましいと規定されている。厚生労働省行政情報昭和45年12月7日環食化第102号パンの離型剤でも植物性オイルが使用されるようになってきているが、しかしながら、流動パラフィンは耐熱性があり酸化されにくいため、まだ多く使用されている。日本においては、食品機械用潤滑剤の安全性に関する規格・規準はない。しかしBSE問題等で食の安全性の観点が重視されているため、食品業界では、製品の安全性について、HACCP等の手法も取り入れ、さまざまな観点で見直しが行われている。食品機械用潤滑剤の参考情報-食品機械用潤滑剤ガイド

食用として認められたパラフィンは、キャンディーの光沢をだす目的で使用されることがある。食用ではあるが消化されずに排出される。食用でないパラフィンには一般には油などの不純物が含まれており通常有害である。

日本では、食品添加物として認められているのは、食品の製造加工に必要なものとしてのその他項目としての流動パラフィンのみ。光沢剤その他では使用が認められていない。イソパラフィンが用いられる。これは水素添加ポリブテンともいわれる。分子量の小さなものは、軽質流動イソパラフィンとして一般的な油剤。高分子品は、粘度の高い油であり、接着性、艶出し効果があり、口紅等のメイクアップ製品の艶出し剤として使われる。昭和40年代前半、1960年代後半、数社の企業によりノルマルパラフィンから「石油たんぱく」が作り出され、コイ等で飼育実験がなされたが、消費者団体等から安全性への疑問から反対運動が起こり開発は中止している。世界的には、飼料や人の食料としてすでに実用に供されている。

英国南アフリカでは、灯油を指してパラフィンオイル (Paraffin oil)、または単にパラフィンと呼ぶ。一方、固形パラフィンはパラフィンワックス (Paraffin wax)とよばれる。

日本での灯油は炭素数 9–18のもの。炭素数 17以上は残油と呼び、そのうちパラフィンは炭素数20以上のものをいう。英国では炭素数 9–18のものをParaffin oilと呼んでいる。

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2008年6月 6日 (金)

出会い-地獄の黙示録

地獄の黙示録(じごくのもくしろく Apocalypse Now 1979年, アメリカ)は、フランシス・フォード・コッポラが監督したベトナム戦争を舞台にした映画で、ジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』をもとにしている。日本での公開は1980年2月。

2000年アメリカ国立フィルム登録簿に登録。

2001年には53分もの未公開シーンが追加された特別完全版が公開された。

公開直後から賛否両論が噴出した映画で、批評家の間で「ストーリーもあるようでないようなものである」「戦争の狂気を上手く演出できている」「前半は満点だが後半は0点」など、意見が分かれがちな映画である。

製作発表時、ベトナム戦争におけるアメリカ及びアメリカ軍を批判的に題材とした初の映画として物議を醸したが、撮影と編集が異常に長引き、撮影は17週間の予定が61週間(1976年3月~1977年5月)にも延びて、編集に2年あまりの時間がかけられた。後から制作が始まり、同様にベトナム戦争を題材にした『ディア・ハンター』の方が先に公開される。1979年のカンヌ国際映画祭で未完成のまま出品され、グランプリを獲得した。一般公開されたのは1979年8月である。

映画としての質は別にして、批評家たちは「泥沼のベトナム戦争がアメリカ市民に与えた心の闇を、衝撃的な映像として残した怪作である」、と結論付けた。

撮影ロケは、フィリピンのジャングルで行われた。アメリカ軍の協力が得られなかったため、映画に登場するF-5戦闘機やUH-1ヘリコプターは全てフィリピン軍の協力に拠った。当時、フィリピンは共産ゲリラとの内戦や南部イスラム教住民の反乱に直面しており、これらへの実戦出動によってヘリコプターシーン撮影のスケジュールが乱れる事もしばしばであった。途中、台風によりセットが全て崩壊する事故が起こったこともスケジュールに影響した。

キャスティング面でもトラブルが多く、撮影開始二週間でのハーヴェイ・カイテルの降板から始まり、主演のマーロン・ブランドの極度の肥満のための撮影方法の変更にもかかわらず、キャスティングや脚本に対してブランドが自己都合的ともとれる意見(デニス・ホッパーとセットで共演する事を拒否したという)をすることが多く、遂には監督のコッポラともう一人の主演のマーティン・シーンが過労で倒れ、マーティン・シーンに至っては一時、生死の境をさまようほどの状態となってしまった。トラブルは尚続き、報道写真家役のデニス・ホッパー麻薬中毒でセリフが覚えられず、事あるごとにコッポラと衝突した。このようなボロボロの状態のため、脚本も当初ジョン・ミリアスが構成したものとは大きく異なるものとなり、後にミリアスが不快感を表明するに至る。

1991年11月に『地獄の黙示録』撮影中の映像を中心に、コッポラの妻エレノア・コッポラが撮った舞台裏の映像や、出演者へのインタビューなどを交えたドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(原題:Hearts of Darkness: A Filmmaker's Apocalypse)が公開されたが、当時の製作現場がいかに「戦場」のようであったかがうかがえる記録映画となっている。

このためこの映画には、とてつもない費用が投じられることとなり、最初の予算は1200万ドル(当時の日本円で約35億円)だったが、実際にかかったのは3100万ドル(約90億円)だった。そのうち、1600万ドル(約46億円)はユナイテッド・アーティスツ社が全米配給権と引きかえに出資したが、残りはこの映画を自分の思いのままに作りたかったコッポラが自分で出した。資金の一部は(日本の配給元でもある)日本ヘラルドから支援されたともいわれる。

コッポラ監督は『地獄の黙示録』の制作初期段階から、音楽をシンセサイザーの第一人者である冨田勲に要請していたが、契約の関係で実現には至らなかった。結局、監督の父親であるカーマイン・コッポラが音楽を担当した。この音楽関連の事情は、完全版『地獄の黙示録』のサウンドトラック盤のライナーノーツで、コッポラ自身が詳細に語っている。

T・S・エリオットの「荒地」が引用されたり、フレイザーの『金枝篇』(「王殺し・犠牲牛の供儀」のシーン)など、黙示録的・神話的イメージが描かれている。この他、監督の妻エレノア・コッポラの回想録によると、コッポラ監督は撮影の合間、しばしば三島由紀夫の『豊饒の海』を手に取り、本作品の構想を膨らませたそうである。(三島と同じく現代文明に疑問を抱き、もはや中年といえる38歳の年齢で特殊戦部隊に志願するカーツ大佐の造形、作品の各所にちりばめられた神話的な隠喩メタファー)や世界観、作品の最後で示される東洋的なニヒリズム等から窺える、という意見もある)

結局、アカデミー賞で撮影賞、音響賞受賞、カンヌ国際映画祭でグランプリ、ゴールデングローブ賞で監督賞、助演男優賞(ロバート・デュヴァル)などの映画賞をとった。

ウィラード大尉役は当初、ハリソン・フォードを予定していたが、スターウォーズの撮影との関係によりマーティン・シーンに変更された。しかし、ハリソン・フォードは撮影の見学に来た折にチョイ役として出演しており、その時の役名は「ルーカス大佐」となっている。

ベトナム戦争末期、メコン・デルタCIAによる要人暗殺の秘密作戦に従事していた特殊部隊員のウィラード大尉は、突如、軍上層部に呼び出されカーツ大佐暗殺の密命を受ける。カーツ大佐は軍の指令を無視して暴走し、カンボジアのジャングルの中に王国を築いていた。ウィラードと部下は、海軍河川警備艇でジャングルの大河を遡行し、その途中で戦争の狂気を目の当たりにする。( 「ブラウンウォーター・ネイビー」 参照)。王国にたどり着いたウィラードは捕らえられるが、最後にカーツ大佐を暗殺する。

スタートシーンは、ベトナム戦争を象徴する兵器のナパーム弾で全てを焼き払うかのような映像シーンで、ドアーズの"The End"が流れた。スタートシーンを巡っての様々な解釈が公開当時から行われていた。キルゴア中佐率いる部隊がワーグナーの『ワルキューレの騎行』を鳴らしながら、9機のUH-1を中心とする戦闘ヘリで敵の拠点村を攻撃していくシーンなど、様々な意味で話題となったシーンは多い。 また、キルゴア中佐の台詞にある「朝のナパーム弾は格別だ。( I love the smell of napalm in the morning.)」は、アメリカ映画協会による名セリフ・ベスト12位に選ばれている。

要所、要所にベトナム戦争批判がみられる。たとえば、サーフィンをするために村を焼き払う指揮官(キルゴア中佐)が登場する。一方、多くの戦闘の場所に指揮官たちがおらず、ベトナム戦争のいい加減さを強調する。(しかし、キルゴア中佐は、古来より戦場には、まま、存在した一種の「軍神的存在」(絶対にに当たらない)として描かれており、部下の若者たちとの「焚き火バーベキュー」のシーンなど、一種の 「宏大なる共生感」 といったものも表現されており、一面的に「ネガティブな」人物として捉えるのは無理がある)。

なお、エピソードの一つにカーツらが民生活動の一環として予防接種を行なった子供達の腕を、ベトコン達が切断して村の中心部に積み上げるというものがあった。このエピソードは「事実無根」としてベトナム政府から抗議された経緯がある(結局修正されず)。
この映画の原案『闇の奥』の舞台となったコンゴ川一帯は、同作品が発表された当時、コンゴ自由国と呼ばれるベルギー国王レオポルド2世の私有国家となっており原住民への搾取政策が国際問題となっていた。この搾取政策の一端を語るエピソードとして、ゴム採取のノルマを達成できなかった原住民労働者の片腕を容赦なく切断したという記録があり、この話が物語に組み込まれたものと考えられる。

ウィラード大尉は、原住民を無情に殺害したあと、最後に自分の腕力を使い、カーツの暗殺に成功する。ウィラード大尉の行為は矛盾している。軍上層部のやり方が大きな矛盾や偽善を含んでいる事に気がつきながら(「それはウソだった、アメリカ軍のウソを見れば見るほど、俺はそれらのウソに憎しみを覚えた」)、その命令に不要な犯罪を犯しさえしながら忠実に服従している。製作者コッポラは、映画『ゴッドファーザー』の三部作で非常に高名であるが、『ゴッドファーザー』第一作、第二作で、マフィアの暴力を間接的に礼賛しているとして、映画の人気とは対照的に知識人たちから批判を受けた事を自ら告白している。当映画は戦争の非情さ、狂気を強調し、アメリカのベトナム戦争への加担を強く批判したという点で評価される面がある。その陰に隠れがちなものの、『ゴッドファーザー』第一作、第二作同様、暴力、殺人を礼賛してその一見「かっこいい」雰囲気を肯定的に表現している傾向があるという解釈も可能である。よって、映画の最終評価は個人によってかなり変わってくるだろう。すなわち、暴力をエンターテイメントとして評価したり、戦争批判を重視するものは、高い評価を与えるかも知れないし、不条理な殺人を嫌悪するものは低い評価を与えるであろう。ただ、「戦争の狂気」 といった表現がよくなされるが、戦場という「極限状態」で顕わにされる、人間の「精神・営み(プレイ・ボーイ慰問団やドラッグなど)」が、文明化されたインドシナ半島にはいないはずの未開社会人の襲撃シーン等と併せて、「ファンタジー」(西洋人からみたファンタジーとしてのアジア東洋)として描かれている、といった方が、この映画の正確な理解かもしれない。また、ギリシャ神話を隠喩的に織り込んでいるともいわれ、神話に興味を抱く者はさらなる象徴的な表現を追求し続けるかも知れない。

本映画製作のための巨額負債の返済のためもあって製作したといわれる『ゴッドファーザー』の第三作目において、彼が暴力を強く否定する必要があったのは大変な皮肉であったともいえる。『地獄の黙示録』は『ゴッドファーザー』第一作目、第二作目と同様、最高レベルの人気をアメリカにおいて長期に渡って維持しており、映画制作者としてコッポラは大成功したと考えられる。彼は映画界の最重要人物の一人といえる。一方、倫理的、論理的面で批判を受け続けたあと、それを容認し反省する映画(『ゴッドファーザー』の第三作目)を監督した点で、倫理的矛盾を揶揄される弱みをコッポラは持っている。

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2008年5月21日 (水)

出会い-ハス

ハス(蓮、学名:Nelumbo nucifera)はハス科の多年性水生植物。蜂の巣状の花托果実が実ることからハチス→ハスという名になったと言われている。の部分(実際は地下茎)は食用にされ、蓮の根すなわち蓮根(レンコン)と呼ばれる。

原産地はインド亜大陸とその周辺(現在のアフガニスタンからベトナムを含む)。地中の地下茎から茎を伸ばし水面に葉を出す。草高は約1m、に通気のための穴が通っている。水面よりも高く出る葉もある(スイレンにはない)。は円形で葉柄が中央につき、撥水性があって水玉ができる(ロータス効果)。花期は7~8月で白またはピンク色の花を咲かせる。インドの国花。

園芸品種も、小型のチャワンバス(茶碗で育てられるほど小型の意味)のほか、花色の異なるものなど多数ある。

ハスの花はレンゲ(蓮花)と呼ばれ、7月の誕生花であり、夏の季語七十二候小暑7月7日ごろ)には、次候に「蓮始開(蓮の花が開き始める)」とある。花言葉は「雄弁」。早朝に咲き昼には閉じる。インドスリランカでは国の花に指定されている他、中華人民共和国マカオの区旗にもデザインされている。

マメ科ゲンゲや、中華料理などで使用する散蓮華もレンゲと呼ばれる。これらはハスの花と形が似ていることから名付けられた。

なお、果実の皮はとても厚く、土の中で発芽能力を長い間保持することができる。昭和26年1951年)3月、千葉市にある東京大学検見川厚生農場の落合遺跡で発掘され、理学博士大賀一郎が発芽させることに成功したハスの実は、放射性炭素年代測定により今から2000年前の弥生時代後期のものであると推定された(大賀ハス)。その他にも中尊寺金色堂須弥壇から発見され、800年ぶりに発芽に成功した例(中尊寺ハス)がある。

近年の被子植物DNA分岐系統の研究から、スイレン科のグループは被子植物の主グループから早い時期に分岐したことがわかってきた。しかしハス科はそれと違って被子植物の主グループに近いとされ、APG分類体系ではヤマモガシ目に入れられている。

観賞用、食用として湿地で栽培される。

地下茎はレンコン(蓮根)として食用になる。日本では茨城県で多く栽培されており、中国では湖北省安徽省浙江省などが産地として有名である。中国では、すりつぶして取ったでん粉と同様に、砂糖とともに熱湯で溶いて飲みものとする場合もある。また撥水性の葉と茎がストロー状になっている性質から、葉に酒を注いで茎から飲む象鼻杯(ぞうびはい)という習慣もある。

葉については「蓮の葉」を参照。

果実(種子)にもでん粉が豊富であり、甘納豆汁粉などとして可食である中国や台湾では餡にして、月餅最中などの菓子に加工されることも多い。また、蓮肉(れんにく)という生薬として、鎮静、滋養強壮作用がある。

果実の若は、果実の中心部から取り出して、茶外茶として飲用に使われる。ベトナムでもハス茶(蓮花茶)と言う蓮の花を使った茶を飲む。ベトナムでは茹でてサラダのような和え物にして食べる。

古代インドでは、ヒンドゥー教の神話やヴェーダプラーナ聖典などにおいて、ハスは特徴的なシンボルとして繰り返し登場する。例えば、『バガヴァッド・ギーター』11章で、クリシュナは「蓮華の目を持つ者よ」と美称され、アルジュナは「ハスの上に座す梵天(最高神)を、そしてシヴァ神、あらゆる賢者たち、聖なる蛇たちをわたしは見ます」と語る。[1] 同5章の記述「結果を最高神に任せ執着なく義務を遂行する者は、罪に迷わない。あたかもハスの葉に水が触れぬがごとく」は[2]、後の仏教における「ハス」の象徴的用法と近いものを含む。泥から生え気高く咲く花、まっすぐに大きく広がり水を弾く凛とした葉の姿が、俗世の欲にまみれず清らかに生きることの象徴のようにとらえられ、このイメージは仏教にも継承された。

多神教信仰から女神崇拝が生まれその為、古代インドでは女性に対する4段階の格付けが生まれ上からパドミニ(蓮女)、チトリニ(彩女、芸女)、シャンキニ(貝女)、ハスティニ(象女)といい最高位の「蓮女」の象徴としてラクシュミーという女神が、崇拝された。

仏教では釈尊が蓮華の上で瞑想する絵が描かれ、極楽浄土の象徴とされる。そのため、蓮華をかたどった台座に仏像を乗せたり、厨子の扉の内側に蓮華の彫刻を施したりしている。また、主に寺院で仏前に「常花」(じょうか)と呼ばれる金色の木製の蓮華が置かれている。一方で、仏教国チベットでは標高が高く生育しないため、想像でかかれたのかチベット仏教寺院では日本に比べ、かなり変形し、その絵はほんのり赤みががかった白い花として描かれている。

また死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想があり、「一蓮托生」という言葉の語源になっている。

「白龍山寶珠寺」(はくりゅうさんほうしゅじ)和歌山県新宮市木ノ川360番地の蓮池には、毎年7月から8月末までの間に、白蓮が開花する。宝珠寺の古文書によると、200年前より蓮池が存在し、蓮もそれに由来する。蓮の葉が80cm以上で大きく、花も大きい。

密教においては釈迦のみならず、ラクシュミー(蓮女)である吉祥天女を本尊として信仰する吉祥天女法という修法があり、蓮は特別な意味を持つ。

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2008年5月10日 (土)

出会い-透明

透明(とうめい)とは、その先にあるものが透けて見えること。極端な場合には、そのものが存在しないかのように感じられる。

一般に「透明」とは可視光線)に対してのことを言う。そして光は電磁波の一種であるので科学的に一般化して、ある物質がある電磁波に対して透明であるとは、その物質と電磁波との間に相互作用が起こらず、電磁波の吸収および散乱が生じないということを意味する。

ある物質が電磁波を吸収する場合、その物質は吸収した波長補色に色づいて見える。例えば、葉緑素色に相当する680 - 700 nmの波長の光を吸収するため、補色の色に見える。

また、ある物質が電磁波を散乱する場合にも、その物質は色づいて見える。散乱は物質が電磁波の波長と同等の単位構造をもつときに生じる。例えばは可視光線を吸収しないためまとまった量では透明に見えるが、細かい粒子になると光を散乱するため不透明となる。や湯気が白くみえるのはこのためである。

したがって、透明であるかどうかという評価は、対象とする電磁波の波長を特定しないと行うことができない。窓ガラスなどは可視光線に対してはほぼ透明であるが、紫外線はあまり透過しないため、紫外線を感知する生物にとっては透明とはいえない。反対に、もしX線を感知する生物がいるとすれば、ヒトは半透明な生物として観察されるであろう。

なお、英語で「透明」は transparence であるが、透明性を表現する単語として transparent と translucent の二語がある。これらは単純に透明・半透明で区別されるべきものではない。前者は trans-(=through、通す・通る)にラテン語paritas(同等の意)が組み合わされた語であり、透明たる対象を介して全く同じ像や事象が伝達される事を意味する。後者は同じく trans- にラテン語の luc-(明るい)もしくは lux(光)が組み合わされた語であり、光が透過する事に重点が置かれる。従って、「透光性セラミックス」や「透過式スクリーン」等の表現にはこちらが相応しい。

生物においては透明なものはそれほど珍しいものではなく、クラゲの稚魚やサボテンの内部組織など、透明なものも多い。

透明な材料は製造に高い技術を必要とするため、純度が高いものや大きなものを作るのは難しい。しかし、科学技術の発展によって、さまざまな透明な素材が開発されるようになった。現在では水族館のガラスに使用されるアクリル樹脂や、光ファイバーに使用される石英ガラスなど、透明度が非常に高い素材が作られている。

ビッグバン理論によると、宇宙はできてからしばらくは不透明であった。

人間が透明になったら、という仮定で生まれた想像上の産物が透明人間である。SF小説や映画でたびたび取り上げられる。しかし、実際にそれを可能にする方法は現時点では存在しない。

よくある突っ込みとして、もし透明人間が存在したとすると、眼球が100%光を透過してしまうため理論上は目が見えないことになる、というのがある。見えるようにするためには、光を眼球で屈折させ、網膜で吸収させる必要がある。これらの組織を透明にすることができたとしても、光が屈折・吸収されているため、「そこに何かがある」ということが周りの人にはわかってしまう。しかしながら、透明になれればいいなあ、という想像は洋の東西をとわず広く存在するようである。たとえば妖精コロポックルが姿をかくす話、天狗隠れ蓑の話等、民話のレベルで姿を隠していたずらや悪さをするものの存在が語られている。

自然のままの存在では、動植物から鉱物に至るまで、全くの透明(可視光線を100%透過する)というものはほとんど存在せず、半透明が限度であるが、そこから触発されて、まずSFの世界においてH・G・ウェルズの『透明人間』のような架空のガジェットとしての「透明な存在」が発想された。

村上龍は小説『限りなく透明に近いブルー』でデビューし、1976年に第75回芥川賞を受賞した。

周りから相手にされない、という状態の比喩として「透明」という表現もしばしば用いられる。

ある物質の透明度を評価する単位としては、湖沼の水質評価などの簡易的な目的で使用されるメートル (m) 、実験的に使用される透過率、光ファイバーなどを定量的に評価するために使用されるデシベル毎キロメートル (dB/km) がある。

湖沼などでの透明度は、直径30cmの白色円板(セッキー円盤)を水中に沈め、肉眼により水面から識別できる限界の深さを言う。どこででも簡単に測定することができるが、肉眼による測定であるため個人差が大きい。日本の湖でも透明度の高い摩周湖は、透明度約20mである。

ガラスなど、一般的な材料の透明度は、入射光と透過光の強度比を百分率で表した透過率で表す。透過率は対象とする光の波長によって異なるため、どの波長で測定したかを明記する。可視光線の場合、550nm での透過率を基準とすることが多い。

光ファイバーなど、きわめて透過性の高い材料を評価するには、ある波長の光が物質中を1キロメートル進んだとき、どの程度の光が「損失」されたかをデシベルで表す。空気の透明度はほぼ0dB/km、アクリル樹脂で約100-200dB/km、普通の窓ガラスで約1000dB/km 程度である[1]

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2008年4月 7日 (月)

出会い-白熱電球

白熱電球(はくねつでんきゅう)とはガラス球内のフィラメント(抵抗体)のジュール熱による輻射を利用した電球である。

ジュール熱を用いて導体を白熱させ照明に用いる試みは古くからあったが、一応の完成を見た真空白熱電球はイギリスのスワンが1878年に発明したものである。その報を知ったアメリカのエジソンが翌1879年に類似の電球を製造した。当時の欧米には東洋神秘ブームがあって、商才があったエジソンは「最初にフィラメントの原料として使われたのは、たまたま部屋にあった扇(おうぎ)の竹の骨であった」というエピソードで発表し注目を集めた。この竹を使ったフィラメントにより、電球の寿命はそれまでの10時間程度から1200時間以上にまで延びた。翌1880年、ゼネラル・エレクトリック(GE)社は直流配電による電灯事業を展開した。電球のネジ式口金が「エジソンベース」と呼ばれることからも、エジソンは「電球の発明者」ではなく「電灯の実用化に成功した人」と言うべきだろう。(配電方式の直流・交流の争いなど、事業家としての逸話は「トーマス・エジソン」の項を参照)。

電球は各種の材料で試みられたフィラメントに代わり1880年に京都の八幡男山(おとこやま)の竹を炭化したフィラメントによって一躍長寿命化し、原料となったその竹は1894年までGEのもととなったエジソンが電球製造販売のために設立したエジソン電灯会社(Edison Electric Light Company)に輸出された。その後炭化した合成繊維フィラメントに移り、やがてはオスミウムやタンタル、タングステンといった金属フィラメントとなる。

2005年現在、一般の白熱電球用の器具には一部を除いて電球形蛍光灯を使用できる。このため、白熱電球より蛍光灯がふさわしい用途(連続点灯時間が比較的長い)の場合は白熱電球から電球形蛍光灯に交換して使用されることも多い。

なお、電球形蛍光灯を利用できない場合の例としては、

  • 演色性を重視する環境の場合。特に特徴の項目で述べているとおり写真などを撮影することを意識する場合。
  • 調光器(明るさを変化できる回路)に接続されている場合(一部対応している製品もある)。
  • 直流で点灯されている場合(車両や船舶など、DC-ACインバータを使って対応させている場合もある)。
  • 物理的にカバーに入りきらない場合。
  • 高温、多湿などの悪環境下(サウナ風呂の照明など)で使われる場合。
  • 電気的なノイズが発生しては困る場合。

などが挙げられる。

白熱電球の明るさはかつては燭(カンデラ(cd)にほぼ等しい)を単位とする光度で表されていたが、現在はワット(W)を単位とする消費電力で表現されている。

電力の多くが赤外線や熱として放出されるため発光効率が低い。日常用いられる100Wガス入り白熱電球では可視放射10%、赤外放射72%で、残りが熱伝導による消費となる。ガラス球部分に赤外線反射膜(通常、多重干渉膜によるダイクロイックミラー)を形成し、赤外放射の一部をフィラメントに戻すことで変換効率を上げたものもある。

発光の原理上放射光の分光分布が黒体放射に近く、一般の人工光源の中では演色性に特に優れている。このことから写真や映画、テレビの撮影光源として広く利用されるほか、人工光源の演色性の基準になる光源もそれ専用の白熱電球と特殊なフィルターの組み合わせで定義されている(CIE標準光源)。対してLEDや蛍光灯などはその発光の原理上、1つまたは複数の鋭いピークのあるスペクトルを持ち、演色性に劣る。人間の目では大きな問題を感じない時にも撮影光源として利用すると色カブりを生じがちである。

現在、市販されている白熱電球の多くは1000~2000時間の寿命を持つ。ただ使用個所によっては電圧の高い(日本では許容最大値である110ボルトかかる)場合もあり、この場合は100ボルトの電球では寿命が短くなるために一部では110ボルトの電球が販売されている。110ボルト電球を100ボルト電源で使用すると5W程消費電力が下がり、効率の低い領域での使用になるため照度は消費電力以上に低下する。反面、寿命が100ボルト電球の2~3倍程度に伸びるメリットもある。

高温(2200℃~2700℃)となるフィラメントではその構成する素材(今日ではほとんどがタングステンとなっている)が蒸発し、折損(俗に言う「球切れ」)することで寿命となる。また昇華したタングステンがガラス球内に付着し、可視放射効率低下の原因ともなる。フィラメントを真空中に置いた真空電球ではこの昇華が大きい。

ガラス球内を不活性ガスで満たすことで昇華を抑えることが出来るが、ガス中への熱伝導による損失が大きくなる。今日用いられる白熱電球のほとんどがこのガス入り白熱電球と呼ばれるタイプのもので、封入する不活性ガスとしては通常、希ガスが用いられるがその分子量が大きいもの程熱伝導による損失が少くなるため、窒素やアルゴン以外に高価なクリプトンあるいはキセノンを用いたものもある。

封入ガスにハロゲン(沃素、臭素、塩素あるいはその化合物)を微量混合し、ガラス球部が高温になるように設計することで、昇華したタングステンをフィラメントへと還元するようにしたものもある(ハロゲンランプ)。

フィラメントの温度を高く設定すると放射光中の可視光成分が多くなり発光効率が上昇するが、その分フィラメントの蒸散も大きくなり、電球の寿命が短くなる。ハロゲンランプの場合、フィラメントの温度が同じならば通常のガス入り白熱電球の数倍の寿命となるが、その温度を高く設定し寿命は同じだが、効率が高い電球とすることも出来る。

またフィラメントの温度を低く設定し、長寿命化した製品も存在する。例えばキセノンランプの中には効率が低く光色も赤色味が強くなるが、10,000時間の寿命を持つものがあり電球交換の困難な場所で用いられている。電球のソケット部分にダイオードを組み込みフィラメントに流れる電流を半減させることでその寿命を延ばす部品も作られているが、これも同様の原理によるものである。なお、ソケット部分に電子回路を組み込み電球寿命を延ばすものも存在するが、これは電源投入時に流れるラッシュカレント(電源投入の瞬間からフィラメントの温度が安定するまでの間、規格の8倍程度の電流が流れてしまう現象。消灯時の冷えたフィラメントの抵抗値は点灯中の高温時に比べ低いために発生する)を軽減し、その時に発生するフィラメントにかかるストレスを減らすためのものである。

フィラメントは、通常単コイルまたは二重コイル(小径のコイルを巻き、そのコイル線で大径のコイルを巻く)となっている。これはフィラメントの封入ガスとの接触面積を減らすことで、熱伝導を抑え発光効率を改善するとともにその寿命を延長するのに有効である。

地球温暖化防止・環境保護の観点から電力消費が多く短寿命である白熱電球は今後生産・販売を一切終了し、消費電力が少なく長寿命である電球型蛍光灯への切替を消費者やメーカーに促す動きが現在国際的に広がっている(特にオーストラリア、フランスやアメリカ(州による)などは白熱電球の生産・販売が今後法律で禁止される)。

日本では2007年11月、経済産業省及び環境省が「チーム・マイナス6%活動」の一環として「電力消費の多い白熱電球の生産・販売を今後行わない」よう電機メーカー各社に要請する事を決めた。また2008年4月には、2012年末までに生産と販売を自主的にやめるよう電機メーカなどに要請する方針を甘利明経済産業大臣が表明した[1]

しかし電球型蛍光灯は販売価格が従来の白熱電球より高価である他、ダウンライト等の密閉型器具・調光装置付き器具・自動点灯器具(人感センサーにより自動的に入・切する)・非常誘導灯器具(停電時にバッテリーを電源とする)には使えない場合がある為、上記の動きに対しては消費者側から反発も予想される。

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2008年2月21日 (木)

出会い-アリグモ

アリグモ(蟻蜘蛛 )は、ハエトリグモアリグモ属のクモを指す。分布する地域は、本州・四国・九州・沖縄。照葉樹に多い。

クロヤマアリに非常によく似た姿と大きさをしている。全身ほぼ黒で、若干の模様が腹部にある場合がある。

頭胸部はハエトリグモ類としては細長く、頭部は丸く盛り上がり、胸部との間にわずかにくびれがある。腹部は円筒形で、後方に狭まるが、前方は丸く、少し後方が多少くびれる。歩脚はハエトリグモとしては細く、長さもそこそこ。第一脚はいつも持ち上げて構える。

頭部と胸部が分かれて見えること、腹部にも節があるように見えることから、その姿は非常にアリに似ていて、生きて歩いている場合にはよく見なければ区別できない。また、場合によっては腹部に矢筈状の斑紋があるが、これも腹部の節を強調するように見え、違和感がない。

あまりにアリに似ていることから、当然のこととして擬態しているものと考えられる。擬態の目的として、「アリを捕食するため」の攻撃的擬態という説と「アリに似せることで外敵から身を守るため」という隠蔽的擬態であるとの説があった。

当初は「アリを捕食するため」という説が主流であった。つまり、アリの姿をしていると、アリが仲間と間違えて寄ってくるので、これを捕食するのだというのである。これはかなり広く普及していた考えのようで、日本のごく初期のクモ類の文献の一つである湯原清次の「蜘蛛の研究」(1931)にも、このことが記されており、さらに、「あるものは巣穴に入り込んで幼虫や蛹を担ぎ出す」というとも聞いている旨が記されている。

しかし、その後次第にこの見解は揺らぐこととなる。1970年代頃の関連書籍では、上記のような観察について、その確実な実例がほとんどないこと、また、実際に観察すると、アリの群れのそばでアリグモを見ることは多いものの、アリグモがアリを捕食することは観察されず、むしろ避けるような行動が見られることなどが述べられている。1990年代には、攻撃的なアリ(アリはハチの仲間であり、基本的には肉食の強い昆虫であり、外敵に対し噛み付いたり、蟻酸を掛けたりする攻撃をする)に似せて外敵を避けるための擬態であるといわれるようになった。さらにはアリグモがアリを捕食した観察結果は皆無であるとの記述も見られるが、これはまたあらためて確認の必要があるであろう。

なお、アリを捕食するクモとして、アオオビハエトリがいる。こちらも第1肢を持ち上げ、触角のように見える。

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2007年12月 6日 (木)

出会い-スギ

スギCryptomeria japonica)は、ヒノキ科(スギ科 Taxodiaceae とすることもある)に分類される常緑高木。日本特産の針葉樹である。

木材資源として重要で、多くの地域に植林されているが、花粉の飛散によって花粉症の原因ともなる。

葉は基部が枝に密着して、先は針状に尖り、枝全体としては一面に上向きの針を並べたようになる。樹皮は褐色で、成長した幹の樹皮は縦に裂け、帯状に剥げ易い。

樹形はふつう細長く直立し、高さ50 mに達するものもあるが、生育条件などによっては幹が太くなる。屋久島の縄文杉には樹高30 m、胸高周囲16 mに達するものがあり、この木の推定樹齢は2500年から3000年とされている。

花は雄花と雌花があり、2月から4月に開花する。雄花は長さ5 mmくらいの楕円形で、枝先に密生する。雌花はほぼ球形で、鱗片が密着し、表面に小さな棘が出る。スギは風媒花で多量の花粉を飛ばすため、開花期には花粉症の原因となる。

日本固有種で、屋久島から東北地方まで分布する。また、材木を目的とする人工林として、ヒノキとともに各地で植栽される。日本全国面積の12パーセントを占める。スギはヒノキよりも湿潤な土壌を好むので、通常はスギを山腹から谷間に、ヒノキを尾根の側に植林する。

スギ科(スギ亜科)は、中生代に登場した起源の古い植物群で、現在は日本のスギの他、アメリカ大陸のセコア、中国のメタセコイア・コウヨウザンなどが遺存的に分布している。なお、漢字の「杉」は、日本ではスギのことを指すが、中国ではコウヨウザンのことを指す。日本特産のスギには「椙」の字を用いるのが望ましい(「椙」は国字である)。

なお、欧米言語の翻訳文章では、しばしば Cedar類をスギと訳すのが慣例となっている。和名にもレバノンスギ、ヒマラヤスギといったようにスギの名が当てられている。しかし、Cedar類はスギのようにまっすぐ成長するもののマツ科であり、スギとは縁が遠い。中央アジアや西アジア、ヨーロッパなどにはそもそもスギは分布しない。

スギの名の由来は、真直ぐの木「直木」から来ていると言われる。割裂性がよく、薪割りのように割ることによって、角材から板材までを作ることができる。従って、古来より重要な木材として重宝されてきた。

樹皮はヒノキとともに檜皮葺(ひわだぶき)の屋根に利用し、葉は乾燥して線香に用いる。

また、子供のおもちゃとして、スギの雄花の未熟なものを弾にして、ごく細い竹で作る杉玉鉄砲というものがある。細い竹の管と、竹籤に柄をつけたものを用意し、まず管に雄花を詰め、竹籤で押し込む。そのあとにもう一つの雄花を詰め、竹籤で押し込めば、空気圧によって前の雄花が破裂音とともに飛び出すものである。

スギには多くの地域品種があり、材質も品種、系統により異なる。天竜杉、屋久杉、吉野杉、北山杉、秋田杉、山武杉などが有名。建築材料として使用する際の強度の指標となるヤング率の変異幅もカラマツ、ヒノキ等に比較して非常に大きい。またヤング率は品種だけではなく樹齢によっても変化する。

建築用材として使用する際には伐採して製材後に乾燥する必要があるが、心持ち角材の乾燥時に問題となる心材の含水率もヒノキ等と比較して高く、変異幅も大きい。低含水率材は約50パーセントのものもあるが高含水率材では200パーセントに達するものもある。このことはスギの利用上の問題のひとつとなっている。

スギ林は、しばしば地すべり性崩壊を起こすことから、森林荒廃の元凶として取り沙汰されることがあるが、地すべりの原因となる粘土状のすべり面は、スギの根系が及ばない深度で形成される場合がほとんどである。スギが地すべりを誘発させているのではなく、地すべりが起きるような場所にスギが自生しやすいのである。

スギやヒノキなどの針葉樹は、外見で感じられるほど根を深く張らない。スギ林の手入れを行わないと樹木の育ちが悪く、地表の植生も生えないため、斜面の表層は脆弱になり土壌は流され土砂災害の発生を助長し易くなり、地すべり発生の素因となる不安定な斜面を形成することになる。現在は植林面積が多くなりすぎており、大部分のスギ林は人工林である。このような危険は今後も続くものと思われる。

さらに、大野晃は国産スギの値崩れが林業の長期的な低迷と、それによる植林地の限界集落化を指摘している。林業の後継者がいなくなることで、間伐されず放置されたスギ林がさらに脆弱となり、森林の荒廃が進んでいるという。

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2007年11月30日 (金)

出会い-アケビ

アケビ木通通草)はアケビ科の蔓性落葉低木の一種(学名 Akebia quinata)、あるいはアケビ属(Akebia)に属する植物の総称である。

茎はつるになって他物に巻き付き、古くなると木質化する。葉は5つの楕円形の小葉が掌状につく複葉で、互生する。花は春に咲き、雌雄同株であるが雌雄異花で淡紫色。花被は3枚で雄花の中央部には6本の雄しべがミカンの房状に、雌花の中央部にはバナナの果実のような6–9本の雌しべが放射状につく。雌雄異花で蜜も出さないので受粉生態にはよくわかっていない点が多いが、雌花が雄花に擬態して雄花の花粉を目当てに飛来する小型のハナバチ類を騙して受粉を成功させているのではないか、とする仮説がある。受粉に成功した個々の雌しべは成長して果実となり、10cm前後まで成長する。秋に熟して淡紫色に色づく。成熟した果実の果皮は心皮の合着線で裂開し、甘い胎座とそこに埋もれた多数の黒い種子裸出する。この胎座の部分は様々な鳥類や哺乳類に食べられて種子散布に寄与する。

種子を包む胎座が甘みを持つので、昔から山遊びする子供の絶好のおやつとして親しまれてきた。果皮の部分はほろ苦いので子供が野山で食べることはないが、内部にひき肉を詰めて油で揚げたり刻んで味噌炒めにするなど山菜としての調理を施すことで、通好みの山菜料理として親しまれている。果実として栽培する地域もある。また、東北地方などでは新芽(山形や新潟などでは木の芽と呼ぶ)をやはり山菜として利用している。

その他、成熟した蔓はかごを編むなどして工芸品の素材として利用される。また、秋田県では種を油の原料としている。江戸時代から明治時代にかけては高級品として珍重され、明治以降生産が途絶えていたが近年復活した[1]

アケビまたはミツバアケビのつる性の茎は木通(もくつう)という生薬である(日本薬局方に記載の定義による)。木通は利尿作用、抗炎症作用などがあり、竜胆瀉肝湯(りゅうたんしゃかんとう)、当帰四逆加呉茱萸生姜湯(とうきしぎゃくかごしゅゆしょうきょうとう)などの漢方方剤に使われる。

また、木通とまぎらわしいものに関木通(かんもくつう)というものがある。これはアケビ類とは別の植物であり、腎臓障害を起こすおそれのある成分が含まれている。名前が似ている上、中国などでは関木通を「木通」としていることもあるので十分な注意が必要である。「木通」を利用する場合は日本薬局方のものが無難である。

近縁種として、日本国内では同じアケビ属の葉が3枚のミツバアケビ(学名 A. trifoliata)が往々にしてアケビと混じって生育している。まれにアケビとミツバアケビの雑種とみられるゴヨウアケビ(学名 A. x pentaphylla)があり、その形態は両種のほぼ中間を示す。

ただし、園芸植物商がアケビに対して「ゴヨウアケビ」の名を付けて販売している場合があり、混乱が生じることがある。

また、日本にはアケビ属以外のアケビ科植物として、常緑のムベが知られている。

アケビを食樹として利用する昆虫としてヤガ科の大型のガであるアケビコノハが知られる。幼虫がアケビ類の葉を食べて育つが、静止時や外敵の刺激を受けたときに背を丸めて胸部の眼状紋を誇示する独特の防御姿勢をとることが知られている。成虫は口吻が硬化しており、ブドウやナシなどの果実にこれを突き刺して果汁を吸う、重大な果樹園害虫とされる。

他にアケビにつく昆虫で目立つのはカメムシ目ヨコバイ亜目キジラミ科の小型昆虫であるベニキジラミである。幼虫がアケビの展開前の若い葉に寄生すると、小葉が二つ折りのまま展開できずに肥厚して虫癭(ちゅうえい)となる。幼虫はこの中で吸汁して育ち、羽化して成虫になると外に出て自由生活を送る。成虫は体長2mmほどでセミを小さくしたような姿。非常に鮮やかな紅色で、アケビの植物体上にいるとよく目立つ。

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